長女の無邪気な笑顔が
幼稚園から今、小学校にかけて
徐々に失われていっている気がする。
まだ7歳。
課せられる課題(宿題・社会性・品行方正さ)。
と周りの厳しさ(先生の叱り)。
かくゆう私も要因だと思う。
食べ方、片付け、ピアノの宿題
やいやい言っている。(ごめんよ)
昨日の朝、長女が泣いた。
ある先生に先日叱られたが
その叱り方があまりに怖かったらしく
「(その先生と)関わりたくない」
「行きたくない」と。
(女性の先生だがちょっと乱暴さもあったらしい)
長女は潔癖なレベルで乱暴な人が嫌いだ。
アニメに出てくる悪役ですら
「この子は悪い子だね」と目を潤ませる。
私が「この子にもその行動を選ぶ理由や
事情があったんだよ」と言うと
それでも悲しいようだった。
私たちの世代では乱暴な大人も
立場があれば正当化されていた。
さらに子供はそれを親には言わず
明るみにならないことが多かった。
男である夫は何人もの男の先生に
殴られたことがある。
夫は思い出して次々と殴った先生の
名前を挙げていたが
「大人になっても忘れんもんやなぁ」
と言っていた。
私も女性の先生に叩かれたり
髪を引っ張られたり
スカートを引っ張られて
ホックがちぎれたこともあった。
(その先生は取れたホックを拾わず
「あんたが悪いからや」と言った。
それが朝の出来事だったから
今日一日どうすんねんと思った。笑)
私も一生忘れないと思う。
長女は今回、先生にランドセルの
首根のところを引っ張られて
叱られたらしい。
そこからお母さんは先生に
髪を引っ張られたことがある
という話になった時
「お母さんはどうしたの?(解決したの)」
と聞かれて「何もしなかったなぁ」と答えた。
お母さんの幼少期は
我慢(というよりスルー)
したという返答が多いから長女は
いつもびっくりしている。笑
私たちの世代では厳しい先生がいても
「それに耐えられんようじゃ
社会でやっていけん!!!」
「それくらい我慢しろ!!!」
という風潮だった。
だけどそれで国民は
幸せになったのだろうか。
今の大人たちの瞳が
その答えだと思う。
無邪気に楽しそうな瞳で
生きている人は少ない。
我慢は感情を殺す。
これからの子供たちは
我慢をベースに生きていく
時代じゃないと思う。
合わないなら別の選択肢を。
選択肢の多さが豊かさだ。
相手を変えたいとは思っていない。
こちらが変えればいい。
とにかく今日は小学校へ行ってくれた。
引っ越し先や小学校が見つかるまで
楽しく登校してくれたら嬉しい。
ちなみに昨日は小学校をサボらせた。
私は外勤で、テレワークの夫と娘が家に残った。
習い始めたピアノの練習をしていたらしく
前日まで弾けなかったところが弾けるように
なっていて、感動した。
サボった甲斐があるってもんだ。
人生にはサボる日も必要。
そしてそれは心を癒す日。