いつか可愛いおばあちゃんになれたら。

35歳からおばあちゃんになる日まで、日々の想いをつづる日記。

「めんどくさい」と思うことをやめてみたら。

1年ほど前まで、「めんどくさい」が口癖だった。

ご飯作りなどの家事、子供への対応、そこから派生する付き合い。

日々のほとんどが私にとって「めんどくさい」ことで埋め尽くされていた。

 

ある日、長女に頼まれたことが面倒で「えーーー、めんどくさいなぁ」と

答えると長女に「めんどくさいって言わないで」と言われてハッとした。

 

そこから「めんどくさい」と思うことをやめた。

 

めんどくさいことをやめるのではなくて

めんどくさいと「思う」ことをやめたのだ。

 

癖のようだったのに案外、あっさりやめることができた。

やり方は簡単で、「面倒だな…」と思いかけたところで思考を切る。

「手がかかりそうだな!よし来い!!」とウェルカム姿勢に変更する。

1〜2ヶ月ほどで頭の中に「めんどくさい」という単語自体が出なくなった。

 

ちなみにそのために前準備しないといけないのは

「多忙をやめる」ということ。

なぜ面倒に思うのか。そもそも忙しいからだ。

ちょっとした時間のかかることを億劫に思うくらいに

ぎゅうぎゅうに生きているからだ。

忙しいと心を無くす。『忙』という漢字の通りに。

 

自分のための時間が少しでも増えると「丁寧に取り掛かってみようかな」

という余力が生まれる。

「めんどくさい」と思っていたあの頃は、1日のうちのエネルギーが底をつくまで

自分に何かを課していて、余力が無かった。

 

ちょっとした不良品を買ってしまった時も、返品しないタイプだった。

返品、交換の手続きが面倒だったから。

だけどそれもやめた。

めんどくさいから、と諦めると「ちょっと嫌な気分」を抱えたまま

その商品を使うことになる。

 

昨日はネットで見てずっと気になっていたコートを試着しに行った。

とても素敵で即決した。店員さんの対応も良くて良い買い物だと思った。

店員さんが人気商品と言っていたから残り1点だったのか

展示されて試着したものをそのまま包まれていた(気がする)。

ちょっと嫌な予感がふわりとよぎった。

でもここで神経質にチェックするのもな、と思って帰路に着いた。

帰ってちゃんと見てみると、右腕のところがほつれていた。ショック。

この「ちょっと嫌な気分」のまま、新しいコートを着たくない。

でも店にもう一度行くのも「ここがほつれていて…」と説明するのも

しんどい。昨日もやっと時間をつくれて行ったとこなのに、また行くのも…。

郵送にしてもらえるかメールで聞いてみた。

返信を待っている間も自分が正しいのかモヤモヤ…。

今日の朝、返信がきて郵送で対応してもらえることに。丁寧な対応だった。

 

今後、そのコートを着る度に私はこの店の丁寧な対応を思い出して

素敵な装いにプラスして2倍増しの嬉しい気持ちになると思う。

 

ちょっと手間がかかることをした時、人の優しさに触れることがある。

面倒だからと何もしない時よりもずっと、優しい出来事が増えた。