いつか可愛いおばあちゃんになれたら。

甘く、優しく、生きる。

甘く、優しく。

HAPPY NEW YEAR!!
このスワッグは花屋さんに特別に作ってもらったもの。
(市販のものにどうしても納得いくものがなくて、奮発して購入。)

 

この年末年始はかなり自分の深い部分の感情まで

掘り下げることができた。

(なのでブログもめっちゃサボった。)

逆に言うと普段から本音の部分をかなり無視している

ということになる。

本音というのはここまでかと思うくらい執拗に掘らないと

出てこないものなのだと気づく。

 

「これが本音だ」と思っていたものは

本物を隠すためのダミーで

実はもっと

ささやかであったり

くだらなかったり

怠惰な理由であったり。

そういうものが本当に自分が望んでいたことだったりする。

(ここで怠惰だと思うことも自分を苦しめていたり。)

 

私の本音はまず「自分をもっと甘やかして欲しいこと」。

 

もう頑張りたくないんだろうな、とは

思っていたけどもっと奥底。「甘えたい」。

ここまで深いところが本音。

これをわかってあげられてやっと

自分の中の黒い塊のようなものが

ほろほろと溶けていった。

 

「頑張らないとほしいものは得られない」

その価値観は強固で。

「頑張らないと存在を認めてもらえない」

奥底に残る黒い塊の正体。

 

「ずっと頑張っていないと」。

何を?それすらもわかってないのに

内容は何にしろ、ただ頑張っているアピール。

 

つまり私は承認欲求の塊である。(!!!)

 

本音はこれまでの体験や感情が複雑に絡み合い

たいてい拗れてよくわからないことになっている。

けどひとつひとつ紐解いていくと

根源が見えてくる。

 

「産まなきゃよかった」そう言った母は

私の学校の成績が良かった時は嬉しそうだった。

頑張れば喜んでもらえる。

子供の頃の嬉しい体験は

時に呪いのように心に釘を打つ。

 

今も子育てと仕事を両立させながら

実家・義実家なんかに頼ってたまるか

と孤立奮闘している。

行政にも頼りたくないし

ママ友にも頼りたくない。

信頼できる夫にさえ、少し気を遣っている。

自分の甘え先を作らないでいた。

 

私の世界観に確固たる甘え先が存在していない。

 

世界観がまるで「戦場」なので

日々生きているだけで疲弊する。

疲れるのは子供三人だからという理由だけではない。

 

ちなみに「頑張る」って今となっては中身の無い言葉だと思う。

まるでハムスターがカラカラと回し車を走り続けるような。

「頑張る」自体に生産性は無く、むしろ力みすぎると

パフォーマンスが下がる。

 

そして、自分には甘え先も何もないのに

なぜ他人のケアまでしないといけないのか。

これが私の抱えた「怒り」。

医療職にうんざりしたのはそれが本心。

 

本当は誰かのためになんて

「なーーーんも、したくね。」

これが本心。笑

奥底に眠る大ボス。

全ての感情はここから発生している。

 

周囲には気が利いて良い人だった母。

年末年始は自分以外の誰かのために忙しなく働き

その後体調を崩すか、どこかのタイミングで爆発して

泣き喚いていた。

泣き喚くのは母なりの甘えだったと思う。

 

母の背を見て育って、誰かのために働くことは

良いことだと思っていた。

けど怒ったり泣いたりするのはそれだけ本音に逆らって

無理しているということ。

本音に逆らうと不満がたまる。

他者に気を遣って無理をして

結果、甘えられる家族に不満をぶつける。

そのパターンは多いと思う。

 

今年も帰省しなかった。

母は寂しいだろうな、と思うけども

自分だけの一人の時間を楽しんでほしいと思う。

自分の時間を作らないと、内省できない。

そうなると、うわべだけの会話しかできなくなる。

会話に本音が出てこない。

愚痴や噂話中心になる。

それは本人にも本音がわかっていないから。

本当は誰に一番わかって欲しいのか。

その不満を伝えたい相手は誰なのか。

愛して欲しいのは誰なのか。

娘に愚痴を吐くことが多い私たちの親世代は

自分に向き合う時間もなく他者のために

働き詰めた人が多い世代だと思う。

 

 

他者の喜びそうなことより

自分の本音を選んだほうが

結果うまくいく。

 

誰かがぎこちないと、そのぎこちなさは伝染する。

誰かが愛に溢れていると、その愛が伝染する。

 

まず自分を愛そう。

他者のことはそれから。

 

甘く、優しく。

それがこれからの生きる道。