揺れない心。
永遠の課題かもしれない。
外的要因に対していちいち反応しない。
心揺さぶられない。
心に波風立てず、「凪」を保つ。
なかなか難しい。
だいぶ安定してきてはいるけど
未だ苦手な人と話したあとは
頭にザーーーッとノイズが入ってしまい
落ち着くまでしばらくかかる。
最近は漫画や本を読むと早く元に戻せるとわかった。
特に漫画は視覚を書き換えられるので良い。
出来事の記憶のリフレインを止められる。
(映画も良さそうだが、子供がいて音声が集中出来ない難点が…)
人と関わるたび疲れる思いをするのを
無くしたいと思っていたけれど
あまりに揺れない人間はそれはそれで
不自然かもしれない。
固い石のようになるか
自分だけの世界に浸る。
「俺は 俺は 俺は」
「私は 私は 私は」
それはちょっと嫌だ。
良い言葉があったな。
「柳に風。」
昔の人はなんて綺麗な言葉を紡ぐのだろうか。
どんな出来事も風に靡く柳のように。
そんな空気感で生きられれば素敵。
この人苦手だな、と思うのはなぜなのか。
自分なりに考察してみた。
過去、苦手だと思った人の共通点。
性別や見た目もバラバラで、発言も違う。
そして気づいた。
私は人を、見た目以外の肌感覚でも捉えている。
人が出す雰囲気を肌触りで例えると
なめらかな人
やわらかな人
サラサラした人
キラキラした人(太陽光みたいな)
ギラギラした人(夏場の太陽みたいな)
ザラザラした人
などがいる。
私はザラザラした雰囲気の人が苦手。
ヤスリに触られているように感じる。
一見、優しそうであったり綺麗であったりしても
どことなくヤスリみたいな人がいる。
そういう言語化できないことって
自分を苦しめたりする。
でも言語化できない感覚的なことも
体と心が反応しているのも事実なんだから。
「なんとなく嫌」の理由が判明しただけでも
少し救われている自分がいる。