いつか可愛いおばあちゃんになれたら。

甘く、優しく、生きる。

『怒り』と向き合った後の、『許し』。

昨日、母と祖母に「一生帰省しないから!」と

怒り狂いながら言葉を吐き捨てるをみた。

そしたらその日、ちょうど母から手紙が届いていて

イムリーすぎて怖かった。

幸せに毎日を過ごし、忘れた頃にくる母からの連絡。

 

昔から、母や祖母に怒りをぶつける夢をよく見ていた。

感謝でいっぱいだと思っていた頃から。

だから不思議だった。

なんでこんなに夢の中で怒っているんだろうって。

 

深層心理とは怖いものだ。

時間がだいぶ経ってから気づいた。

私は『怒り』を抱えていたんだということ。

 

 

カウンセラーの高橋リエさんのYouTube

親子関係の問題中心で腑に落ちる内容が多い。

 

かつての私は自分の親が毒親とまではいかないと思っていたけど

高橋さんの話す「毒親の発言」が言われたことがある言葉ばかりで

「なんか変だと思っていたけど、母は毒親だったのか」と

やっと承認できた。

 

というより本心では

「あの母を毒親と表現しても良いのか許可が欲しかった」。

だからYouTubeで親子関係のことを発信している人を

探し始めたんだと思う。

 

自分の親を「毒親」と思うのは勇気がいる。

けどそれも、通過儀礼として必要な時もある。

一見、不愉快でマイナスなこと。

隠さないで通過していく。

『怒り』と向き合うために必要なプロセス。

 

『怒り』を抑えると他の感情も正しい経路で巡れないらしい。

だから『怒り』が出てきたら、駄目な感情だと思わずに

ちゃんとその気持ちに向き合ってあげたほうがいいんだって。

 

自分の中になぜ「怒り」があるのか。

それは、自分の心が傷ついたから。

それを蔑ろにされた時、体が『怒り』を発する。

「私を大事にして!」

「私の気持ちを無視しないで!」というサイン。

 

自分が言われたことに対して怒っているということ。

それを言ってきたのは親であるということ。

それを許可して初めて、乗り越えるためのスタートをきれる。

 

 

同じような言葉を言われて育った子供が今

大人になって生きづらさに苦しみ

高橋さんのようなカウンセラーに相談している。

 

もう「いい大人」と呼ばれる歳になっても

未だ傷を癒せていない人がたくさんいる。

それくらい親が子供につける傷は深い。

 

ちょっと前は「それでも親に感謝しないと」

という力技が存在した。

親戚のおばちゃんおっちゃんが言いそうな言葉だけど

本音を呑み込んでそんな親を丸ごと受け入れたところで

親が死んだ後、溢れるのは『感謝』より『怒り』な気がする。

言葉で一発喰らわせてやりたかった…と思うかもしれない。

あとで言えなかった感謝を仏壇で唱えるより

言えなかった恨みつらみを唱えるほうが怖い。

 

死んだ後、言いたいことはもう言えない。

でも実は生きている間に言ったところで

親から返ってくるのは残念にも

「そんなこと言ってない」「覚えていない」。

高橋さんいわくこれは毒親あるあるらしい。

(もれなく私も言われた)

 

親に思いのたけを言うのと言わないの、どっちがいいんだろうか。

どっちが『怒り』を昇華できる?

 

私は少し話したところで、それが逆に母から

「それを言われてすごく傷ついた」と言われて

加害者と被害者が入れ替わったので途中でやめた。

不完全燃焼…。(ボヤで終わって保険が降りない火事のような。)

 

なんで親はそんなこと言ったんだろう…

と答えを探す。

分からないままループする。

でも本人すら言った覚えがないわけだから。

 

加害者は存在していない?

被害者の脳内にだけ存在している?

 

私は何に傷ついているのだ?

幻??

 

高橋さんが言うには

毒親さんは攻撃がコミュニケーションなので

娘を傷つけているなんて全く考えたことがない。」

 

攻撃的な言葉は世間話のようなものであり

悪意もなく深い意味もない。

ただのコミュニケーションの一貫。

悪口、愚痴もその一部。

 

つまり、私は親にとっての

「なんてことのない話」に

一人で勝手に傷ついて

怒りを抱えていただけなのである。

 

私が悪口を言うのをやめて、と母に言った時

「悪口なんか言ってない。あんたはうんうんって

ただ話を聞いてくれたらええ。」

と返ってきたことがあるので本当になんでもない話の

つもりだったのかもしれない。

(愚痴を聞きすぎると当然心が壊れるそうなので

ぜひやめたほうがいい)

 

そして、子ども側もいつまでも被害者いることは

すごく消耗する。

傷は味わいすぎてはいけない。

酔ってしまうから。

 

そして毒親の特徴、もう一つ。

「勝ち負けを人生の要としている。」

 

自分の容姿にこだわるのも

娘の容姿のことにあれこれ言ってくるのも

芸能人や他人の容姿のことをいちいち何か言っているのも

容姿は勝ち負けの分かりやすい対象だから。

 

初めて彼氏ができたとき色々言ってきたのも

彼氏とどこまで進んでいるのか聞いてくるのも

夫婦生活のこと聞いてくるのも

女として嫉妬しているから。

 

基本的に「勝ち負け」を基準に生きているから

自分の美貌や女としての価値を娘に越えられるのが嫌らしい。

 

これは先祖代々、女性間で続くだろうと思う。

母がそうなら娘もそうなる。

私の代で、必ず止める。

 

けど実際のところ、私にも競争心があった。

思春期頃から特にそういう傾向になった。

勝ちポジションでいたいという感情。

その自分の心の醜さに、長く苦しんだ。

 

「攻撃」「勝ち負け」。

いずれにしても母のコミュニケーションを

コピーしてたんだなと思う。

 

今、子育てをしていて自分の発言が

娘たちを傷つけてしまったことは

何度もある。

これはほんとうに良くなかったと思うものも…。

それを言った時の私はひどい心理状態だった。

仕事も家事もキャパシティを超えていて

「母である私の気持ちも分かってよ!」って。

 

 

だからね、私の母が私にひどい言葉を言った時も

きっと余裕が無かったんだと思う。

だから、私はあなたを許すわ。

もう仲良くはなれないと思うけど

あなたの頑張りは、認めている。

 

子育てできっと重要なのは

子どもの気持ちを想像してみること。

日々の生活の中で、派手な叱り方や

キツい言い方をしてしまうこともある。

でもそれを受けて子どもが

どう思ったのか

どう感じたのか

そこを意に介さなくなると

もう大砲をぶっ放しているのと同じ。

それは「毒親」になってしまうと思う。

 

「思いやり」ってその一言の中に

全てがつまっていると思う。

 

 

ー追記ー

このブログを書くのに3時間かかった。

最初は『許し』のことは書く予定になかった。

別に解決してもなかった。

でも書いているうちに「私、許すわ。」って

フレーズが浮かんで、そこから涙が出そうになった。

「あ、『許した』んだ。」と思った。

 

昨日まで怒っていた。

すごく重くて、息苦しかった。

『怒り』のエネルギーと

『許し』のエネルギーって

空気の軽さが全然違う。