いつか素敵なおばあちゃんになれたら。

甘く、優しく、生きる。

昨日の出来事。

とても、しょうもないことが起きた。

しょうもなさすぎて、ブログに書くのは恥ずかしい。

けど、自分なりに消化したいので書くことにする。

(というかもう書かせてほしい。)

 

 

昨日、仕事で知り合った人(60代、男性)と話の流れで

ワインの話題になった。

 

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私はもともとほとんどお酒を飲まなかった。

けどこの前のクリスマスにカルディで赤ワインの試飲をしたら美味しくて

そこからハマって美味しい赤ワインを探しているところだった。

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そこでその男性に、美味しい赤ワインを探してると一言ポロッと話したら

輸入会社の関係者だからおすすめを送ってあげる、と言われた。

 

断った。(いろいろと面倒でしょ)

 

ワインは美味しいものを飲んだほうがいいですよ、とその男性。

 

当然、また断る。

 

じゃあワインのパンフレットを送ってあげる、と。

 

いや、断る。(めんどくせぇ)

 

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そこで、私は考えた。

自分のことについて。

私はいつもずっと、排他的だった。

最低限、人と関わることや好意を拒否してくることが多かった。

だって面倒なことになるから。

そういうところ、そろそろ直さないといけないかも、と。

ワインも自力で探そうと思っていたけど人から素直に情報を受取ることも

これからははじめていかないといけないかもしれない、と。

 

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その男性が「パンフレットの写真を送って連絡先はすぐに消す」

と言ったので受けることにした。

 

(もうわかると思うけど、この後やっぱり面倒なことになる。)

(「素直な受取り」をミスリードしている。馬鹿だろう?)

 

初動の段階で夫には話していたので、夫はもうこの先の出来事を

見透かした顔をしていた。

 

今となっては、おじさんは心からの親切心だったのか

ただ友達が欲しかったのか、下心があったのか、本当のところはわからない。

でもやり取りが面倒だったし、なんか気持ち悪かった。

 

最終的に全て断って、一連のやり取りはただ私の体力・気力を奪っただけだった。

 

その夜、夫との晩酌で吐き出す私に対して夫は笑っていた。

急に距離を縮めようとしてくる人には気をつけたほうがいいね、と。

(夫は私の失態に対して寛容である。「勉強になったね」と言って

 まるで娘を見守る父親のような表情をする。)

 

そんな昨日の赤ワインは、なおさら不味かった。

(お試しで買ったけど美味しくなかったのが、さらに。)

朝起きたら顔のむくみも酷かった。

 

 

おじさんのことはどうでもいいんだ。

 

ミスした自分が嫌なのだ。

いつもと違う判断をしたことも。

 

自分の境界線を緩める相手も

タイミングも全て間違えている。

 

それに対して夫はまた

「今回のことは、もうこれで良かったんじゃない?」

と穏やかな父親のような表情。

夫にそう言われると、いちいち自己嫌悪になるのもまた違うかなと思える。

 

 

今回の件で気づいたのは、「命」の使い方。

「命」というのは、私の「時間」のこと。

「時間」は「命」であり、「魂」でもある。

 

何に自分の「命」を使いたい?

 

 

おじさんが「30分だけでも、気晴らしに美味しいコーヒーでもどうですか」と

言ってきた(ごめん、鳥肌立った)時に、思ったこと。

 

気晴らしって何?おじさんとのコーヒーの時間が?

(おじさんは自分との時間が私の気晴らしになると思っていることに驚…)

私にとって、気晴らしとは誰かとコーヒーを飲むことではないよ。

仮にめちゃくちゃ美味しいコーヒーだとして時間が30分だけだとしても

往復の電車の時間もある。その2〜3時間は私の「命」の時間。

「命」を削ってまでしたいわけない。

(でもおじさんの存在を否定する意図はなくて、私にとってという意味で。)

 

 

そこで「気晴らし」について熟考し始める…。

 

私にとって「気晴らし」とは、ひとりで刺繍をしたり、フルートの練習をしたり、

子どもたちがキャッキャしてるのを横目で見たりする時間。

それこそが「命」の時間を使いたいこと。

 

 

私はひとりでいることが好き。

それ以外なら、家族のため。

「命」はそのために使うもの。

 

 

家族ではない誰かの言葉が、自分の人生を変えることはある。

それは今回のようなことから始まるかもしれないし(どうだろ。笑)

人生なんて何がどのタイミングで起こるかわからないんだけども

自分らしくない行動を無理してしなくたっていい、と改めて思った。

 

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一昨日の日曜日、興味があることのワークショップに行った。

そこで、すごく自分にささる言葉を聞けた。

子ども3人を夫に預けて、慌ただしく有楽町まで出かけた。

その行動の甲斐があるくらい、有意義な時間だった。

 

私が自分以外から得たいものがある時って

そういう行動だけでいいのかもと思う。

 

自分の「命」の使い方は、人それぞれで違っていてどれも正しい。

自分の性質や行動を変えなきゃ、と思わなくていい。

 

 

ちょっと馬鹿すぎて恥ずかしいけども

こんな出来事にも気づきがあるということで。

(まだモヤモヤしているけども無理矢理完結!!!)