人類は未だ「誹謗中傷」が流行(?)している。
(正直、まだやってんのかーいって思う。)
その昔、魔女狩りやさらし首をやっていた人と同類な人間が現代にもまだいる。
もしやその人達が生まれ変わってまたやっている?(なんて想像したり。)
抑圧が大きい日本ではそこで発散するしか方法が
無い人々が存在するのかなとは思う。
あとは、非常に現実的・物質主義的すぎて過度な
ジャッジメントをしすぎている傾向があると思う。
ジャッジメントって一見格好いいけど、不毛だ。
(誰の、何をもっての、正しさ?)
特定の誰かを刺激しないように予防線を張り巡らす世界。
注意書きの看板や注釈だらけ。
誰かが喜べば、誰かが怒る。
全ての人間を納得させるには、根拠が必要。
私は、すこし、
いや、かなり寂しい。
「不快」に感じていると思っていたけれど、実のところ
「寂しい」という感覚の方が本心に近いと気付いた。
私はそんな世界で、とても寂しい。
一緒のゴール。一緒の正解。
一辺倒なその世界観。
その偏りが、寂しい。
(子どもの頃、「みんな一緒に」っていうの嫌いだったなー。)
もう少し精神世界の感覚も含めて、人と話がしたい。
動物的感覚、直感、本心。
目に見えないし、根拠はないけど、そうだと思うこと。
確証は無いけど、腑に落ちること。
物質世界も好きだけど(普通にブランドジュエリーとか欲しいし。)
精神世界も愛している。
けれど現状は、身近な人ですら話せていないところがある。
「マトモな人」だと思われたくて。
「マトモな人」は、正しくて、科学的根拠を持っていて、現実的。
「マトモな人」は、白黒はっきりつけられる。
「マトモな人」はしっかり自分とそれ以外の境界線が引ける。
私ももれなく、「マトモな人にならねば」という恐れ。
これまでは、自分とそれ以外の境界線が引ける人こそ強いと思っていた。
でもそれって、怖いからなんだと思う。
自分が傷つくことへの怖さ。
怖いからその因子を排除する。
今の私は、もう自分とそれ以外の境界線をとっぱらった状況こそ
『最強』じゃないかと考えている。
私が傷ついても、傷つけてきたものは私と同じもの。
だから私の被害は加害と同時に存在している。
傷つけてきたものは私で、傷つけられたと判断したのは私。
ちょっと何言ってるかわかんない。(サンドイッチマン好き)
でも、そういう感じ。
世界が、相手が、どう出ようが
傷つくかどうか決めるのは私なので
『私は最強』になれるのだ。(Mrs.GREEN APPLE好き)
という話も、下手にできない。
誰かを傷つけてしまうかもしれないから。
この話で、「じゃあ、私の傷は私のせいってこと?」と
思って傷つく人や怒る人がいるかもしれない。
だから黙っている。
私の感覚は、私にしか通じないかもしれなくて。(結局、恐れ全開やな。)
なので、今はまだ寂しい。
いつか同じ感覚の仲間と、ワインでも飲みながら、気兼ねなく話がしたい。
まだ会えていないということは、私がまだその境地に達せていないか
黙りすぎているからだろうけど。
未熟だけど、そのうち熟す。