思えばこれまで
「無駄に多くのことを感じないように」
自分に蓋をしていた。
蓋って何の?
『感受性』。
これが一番、表現として合っていると思う。
「こういう風に感じるのはきっと私だけだろう。
だからこの感覚は手放さなければ。」
私の感覚はきっと、大多数と違っている。
私は少数派で、私の感覚の方が間違っている。
そう思っていた。
周りに溶け込んで生きていくために
『感じること』の大部分を捨てた。
ふと湧いた感覚をスッと瞬間的に捨てる。
だって、
傷つきたくないから。
民主主義は多数決。
大多数の方が正しいという空気感がある。
『みんなと同じ感覚』を持っていないと
排除される。否定される。
そうしていたら
どんどん鈍感になっていって
感動することが減ってしまった。
なかなか感動できない。
感動しそうになっても
その感覚すら瞬間的に手放してしまう。
もはや、癖に。
感動して泣くことも減ってきていた。
ドラマや映画、テーマパークも。
「これは虚構だ。」とマインドが先に言う。
「感動するほどではない。」と。
涙もスッと引いていく。
自分の生きたいように生きる
その準備ができてきたと思った時
「もう蓋を開いていいよ。」と
知らせが来た気がした。
「もう蓋を開いても大丈夫。
これまでみたいに無防備に
傷ついたりしない。」
うとうと夢を見ていたら
宇宙人(目がでかいグレイ)が
そう言ってくれた。
厳密に言うと喋っていない。
そういうことが言いたいんだろうな
と感じただけ。
ついでに夢の中に龍も飛んでいたので
お金のことを相談してみた。
「ガツーンと収入が得られるようになりたいんですけど」
めっちゃ現実的なことを夢で相談。笑
その龍は「それを得る方法は自分が
想定していないところにも存在する。」
と言った。
これも厳密に言うと喋ってないけど
そんなことが言いたいんだろうな
と感覚で分かっただけ。
龍は体をくねらせて宙を泳いでいた。
こういう夢で見たことも
否定しようと思えばいくらでもできる。
「信じない」と決めれば、そう選択できる。
たかが夢、と切り捨てることも。
「そんなわけない」と
これまでは切り捨てることがあった。
信じる私がおかしいと。
これからは自分が腑に落ちれば採用していく。
「夢うつつ」の時の
なかなか核心をついてそうなアドバイス。
これも『感受性』。
否定せずに、受け取る。