いつか素敵なおばあちゃんになれたら。

甘く、優しく、生きる。

自分自身の邪魔をしてはいけない。

自分の願いに対して強く願うこと
それが絶対的に必要なわけでなく
ただ、その願いを叶える邪魔を
自分自身がしてはいけない。

『自己限定』。
自分の可能性を自分が狭めること。
「自分にはこのくらいしかできない」と思うこと。

そんな言葉あるんだ、と初めて知った。

そして私にも長くこびりついた悪癖。
悪癖の中でも大ボス級。

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昨日は母の日。

「母」という文字を見ただけで
苦い気持ちになる私。
五月に入ってから今週まで
グッと心身の調子が悪くなったのは
どこもかしこも「母」の文字だらけ
だったからかもしれない。
これが密かにけっこうな打撃。

自分も「母」なのに。
いつまでも「娘」のままだからだろうか。
「娘」のままだと、いつまでも弱い立場のまま。
「母」という強者に主導権を譲ったまま。

「母」を愛する健全な関係の人たちは
この上下関係が無い人たちなんだと思う。

親子は本来、対等な存在であるはず。
「母」「娘」は役柄のひとつにすぎない。

親が子にしてはならないこと。
それはただ一つ。
『子どもが、子ども自身の力で
子ども自身の人生を生ききる』
その邪魔をすること。

時に『心配』すらもその邪魔となる。
対等にお互いを信頼していれば
お互いを阻む存在にはならない。
『心配』は『信頼』していないから
生まれるものでもある。

「娘」が「母」の不幸を憂うのも。
「母」が「娘」に願うのも。

『信頼』の温かさが無ければ、の話。

もしあなたを尊重しない相手なら
あなたは相手を尊重する必要は無い。

無鉄砲に振る舞ったって、いいんだ。

そして相手のことは
「あなたが想わなくても、勝手に幸せになる」
と信じてあげよう。

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夫がちょうど昨日何気なしに
「懐かしい曲を聞いたらどんな気持ちになるか」
という話題を振ってきた。

夫は基本的に『幸せになる未来』しか
描いたことが無いらしく
「あの頃はこんな妄想(かっこいい俺)
をしていたなら今の俺もっとやれるんちゃう?」
とやる気が出るらしい。
え、すごい。笑

私が懐かしい曲を聞いた時はたいてい
「あの頃はこの曲を聞きながら
ひとりでこっそり泣いていたなぁ…。」
としんみりしているだけである。

あの頃、幸せな未来を信じられていなかった。
なのに、あの頃限定してつくっていた『枠』より
今の私ははみ出ている。

ならば、今もまたそう。
『今の枠』より、未来はきっとはみ出るはずだ。

夫は『自己限定』していない。
私はしている。

幸せになりたいくせに
幸せな未来を描けず
自分を『限定』している。
自分を自分で作った『枠』に抑え込んでいる。

こんなダサい悪癖、他にあるか?

夏至までに直そうと、心に決めた。
夏至って切り替えの良いエネルギーだそうで。)

癖は本当に少しずつ、着実に
息の根を止めないとまた生え変わってくる。
癖を治すのは根気よく、丁寧に。
時間をかけても気にしないこと。
大事なのは、目を逸らさないこと。

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ほんで、今日ジムに行ったらちょうど
流れている曲が懐かしソングばかりだった。
いつもそんなことないのに。たまたま。

こういう人生のタイミングの良さ、おちゃめだなって思った。