いつか素敵なおばあちゃんになれたら。

甘く、優しく、生きる。

幸せは青天井。

どこか今の現実に「幸せを望みすぎてはいけない」
と思っている節があったと思う。

じゅうぶん幸せである。
だが、完全満足かというとそうではなくて
本当はこうしたいと思う理想像があるのに
それを望みすぎるのは良くないんじゃないか
という想い。

それはきっと、積み上げてきたもの。
いろんな感情が複雑に絡み合ったもの。

育ってきた環境、世界情勢、惑わすメディア。


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私、今ちょっと(いやかなり)お金が無くなったのだが
このことから私が気づいたことがある。

それは「人に頼ってもいいんだよ」ということ。

結婚して10年だが、夫にお金で頼ったことがほぼ無かった。
財布は別にしていて、支払いの担当も分けていた。
ピンチになった時も自分の貯蓄からどうにかしていた。
私はアルバイトなので、月収にかなりバラツキがあったのに
困った時にも「ちょっと足りないかも」が言えなかった。
自分の力でどうにかしないといけないと思い込んでいた。


それは私が自分自身のことを「他人からお金を出してもらえる存在」
と認知していなかったからだと思う。
父親は10歳の時に離婚して以来、1円ももらったことがない。
母親はくれたが、たいてい恩着せがましい小言付き。
(小言だと当時の私が勝手に受け取っただけで、純粋な愛だったかもしれん。)

「誰も喜んで私にお金をくれる人間はいない。」
これが無意識の思い込み。

だから今回、人生で初めてお金が欲しいと他人に頼ってみたのだ。
夫のあっさり感。びっくりだった。
頼っていいんだ。
こんなに快く支払ってくれるんだ。


これまで「ひとりでなんとかしなきゃ」感が強すぎたと思う。
「頼ることが苦手」と一年以上前のブログにも書いたことがあったが
度が過ぎていたからそれを気づかせるような流れだったんだと思う。

夫ひとりに任せるのは申し訳ないと思って私もシャカリキに働いていたが
私がシャカリキじゃない今のほうが夫は年収も上がり、頼もしくなった。

夫婦って不思議なバランス。
どちらか一方が不自然に頑張りすぎたり、強くなりすぎると
もう一方が頑張れなくなったり、弱くなりすぎたりする。
夫婦共々、自然体。
それが一番スムーズに事が運ぶ。


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菊本和弥さんが「幸せは青天井」とおっしゃっていて
今の自分のブロックはそこだなと思った。

望むことを遠慮しなくてもいい。

遠慮していると、スケールが小さくなる。

自分のことを「なーーんか、つまんねぇ人間だな」と
感じていたのは私のスケールが小さいからだと思う。

遠慮しているから縮んでいる。

愛のスケール。
お金のスケール。
感情のスケール。
行動力のスケール。
自由のスケール。

「小さい人間」になっちゃってた。

「小さい人間やな」というセリフは
このスケールのことをいうのでは。

遠慮って本当に良いものを運んで来ない。
1000%断言出来る、37年の人生で学んだこと。