私が感じているのはお金の不安なんじゃなくて
自分自身の価値への不安なんじゃないか。
無意識で自分がお金を生み出す価値が無いと思っていることが
お金そのものに不安を感じているという錯覚に至っている。
現に公式的な資格が無いとお金を稼げないと思ったから
国家資格をとった。
好きではないこと、しんどいこと、マトモなこと
ならお金になると思って。
自分の好きなことをしてお金になるはずがない。
自分にはその価値は生み出せない。
そう思っているからお金が脅威になっている。
お金ってツールでしかないのに。
お金という存在を自分より上に掲げてしまっていた。
小さい頃、世にどんな職業があるかもよく知らないうちに
いろんな大人に「大きくなったら何になりたい?」と聞かれた。
その時私は「花屋さんになりたい」と答えた。
本当になりたかったのどうかはよくわからないけど、花は今も好きだ。
母のそれに対する返答は「花なんか金になるか。」だった。
それを聞いてそのまま信じてしまった。
子どもながらすごく純粋に「花屋では食べていけないんだ」と思った。
次聞かれた時は困って、「幼稚園の先生」と答えた。
母は「子どもなんか可愛くない。そんな仕事やめたほうがいい。」と返した。
何が正解なのかわからなくなった。
それ以来、将来の夢を聞かれることが苦手になった。
子どもゆえの純粋さもあるが
これは私自身の他人軸さもある。
優柔不断で、他者に素直に人生を明け渡してしまうところ。
ここで意思の強い子どもだったら「それでも俺はなる!!」
って言っていただろう。笑
夢を叶えるのにも重要なのは、圧倒的自分軸なのだ。
物語のヒーローは、必ずといっていいほど自分軸。
職業なんて、なりたいものになるものではないと思っていた。
やりたいことは趣味でするものだと。
大人になって気づいたのは、クリエイターに対する憧れ。
音楽、ダンス、絵、フラワーアレンジ、漫画、小説、なんでもいい。
自分の才能を使ってクリエイトしている人。
「こんな人生いいなぁ。」
いつからか、薄ぼんやり。
「私は『言葉』が好きだな。」
「エッセイストになりたいな。」という想いがちらつくようになった。
光野桃さんのエッセイを読んだことがきっかけだったと思う。
「なんて美しい文章を紡げるのだろう。」
私の憧れる表現者の一人だ。
でも自分の文章には、その価値はきっと無い。
お金を払ってまで私の文章を読みたい人はいないだろう。
そう思ってその想いを、静かに消した。
それでもブログを始めたのは、爆発しそうだったからだ。
自分の中で生まれてくる『言葉』を外に出していかないと
何かが爆発しそうだった。
(実際、ブログの最初のほうは暴発気味だったような…。笑)
始めたのは、自己価値を大切にするための第一歩。
それでもまだ、揺れている。
おばあちゃんになる頃には揺らぐこともなくなっているだろうか。
タイトルの「可愛いおばあちゃん」はただ可愛いだけじゃない。
軸に、揺れない芯の(真の)強さがある人。
儚く美しい花じゃなくて、強くて美しく佇む花になりたい。
そんな花みたいなおばあちゃん。