いつか素敵なおばあちゃんになれたら。

甘く、優しく、生きる。

悩みを因数分解。

悩んでいることをどんどん細分化していって
まるで因数分解している。

(「まるで因数分解!」ってひらめいたけどちょっと違うかも。笑)

なんで悩んでいるのか原因を細かく分析していこう
というやつである。


なぜその悩みがあるのか。
その悩みは私に何を気づかせたいのか。


そこにまさかの「悩んでいたい」という答え。

もはや悩みが趣味なのか?
そうじゃない。
私にとって悩みの利得があるからだ。

悩んでいると、いろんな答えが出る。
実のところ、それを喜んでいる。
頭は苦しんでいるのに、魂は違う。

悩んで出した答えを文章化できる喜び。
「悩んでいる人の心の代弁を文章でできると嬉しい。」
自分に悩みがなくなると、それができなくなる。
私も悩んでいないと他者に共感できない。
共感できないと、孤独になる。
そう、孤独に対する恐れもある。

その潜在意識が自分に悩みを呼んでいる。

あまり悩まない人はそれはそれで美しいが
あっけらかんとしていたり、思考がシンプルで
複雑化していない。
悩まない人は太陽みたいに眩しい。
そして孤独にも強い。

そんな人が羨ましい。
が、なりたくはないと思っている節があった。


それは「共感する能力を失えば、役に立てないかもしれない」
という思い込みから。

それは昔の成功体験。
友人から悩みを相談されて、答えた時
「ユイのおかげで自分の気持ちがすっきりした。」
と喜んでもらった経験があるから。

私にとって、大きな感謝された時はそういう状況が多い。
誰かの気持ちを代弁できた時。
誰かの言語化できないモヤモヤを、代わりに言語化した時。

すごく嬉しかった。
生きている実感。生きる意味を与えられたような。


私は小さい頃、大人びていた。
友人に当時された相談はたいてい先に自分が経験済みだったから
すでに言語化されたものだったのだ。
よく思考している子どもだったから、状況の応用も得意だった。
だから悩み事に対する回答のレパートリーも豊富だった。(子どもにしては)

それを今もやろうとしているのではないか。
無意識化で。
「先回りして悩んでいないと」って。

誰だって、恋に悩んだ経験のある人に恋の相談をしたい。
子育てに悩んだ経験のある人に子育ての相談をしたい。
仕事で悩んだ経験のある人に仕事の相談をしたい。
お金で悩んだ経験のある人にお金の相談をしたい。

一度悩んで苦しんだ人は、強い。
『共感力』はわりと最強のツールでもある。

「最強の手札…、私も欲しい…。」
って自ら悩みに行っている節があるのではないか?


悩みのない人生は幸せだけど、つまらないかもしれない。

けれど、悩みがなくたって人の役には立てる。
なんなら役に立とうと思って立つものでもない。
生きていれば自然と、誰かの役には立っているものだ。必ず。
だってお金を払うことひとつにしても、生産者を豊かにしているのだから。

自己価値が不安定だからこそ、よくわからない思い込みから
現実に悩みを呼んだりしている。
悩みってたいてい実態のないただの不安であるからして…。

このブログもまた、当初の因数分解の答えと違う答えが
書いているうちに出てきて「まじか…」と自分でも思っている。(あるある)