時間は人間含めすべての生き物にとって平等だと
ずっと思っていた。
が、そうではないらしい。
今ブログを書いている、12時48分。
みんな平等に、同じ時間を感じているはず。
が、そういったような『時間』という概念が
そもそも間違っていて、思い込みらしい。
(ここで説明できたらカッコいいが、難しくてできなさそうなので割愛。)
ちょっとその概念とは違うかもしれないが、『時間』のことで
思うことがあったので私の感覚を述べてみる。
今日は出勤日。
仕事の日は、どことなく緊張している。
特に「遅刻しないか」を心配して焦っている。
忙しない朝の、子どもたちのなんてことのない小競り合い。
今日は声を荒げてしまった。
内容はどうでもいいことだ。
なぜ声を荒げたのか。
『時間』だと思った。
『時間』に精神を支配されている。
8時15分には、職場に着きたい。
この「8時15分」は誰にとっても同じ存在。
でもこの「8時15分」は、私のものではない。
自分を軸とした時間じゃない。
誰かに与えられた「8時15分」。
この感覚、伝わるだろうか。
つまり、意識の問題。
『誰かに与えられた時間』を生きると、しんどくなる。
焦ったり、いらついたり。
そうじゃなくて、自分から『時間』を生み出すのだ。
「8時15分」は私のための「8時15分」であるべき。
簡潔に言うと、「時間に支配されること勿れ」ということ。
時計はただの目安。
みんながみんな、それぞれの時間を
自由に泳ぐように生きたらいい。