いつか素敵なおばあちゃんになれたら。

甘く、優しく、生きる。

バタフライエフェクト。

「この世は木の葉が一枚落ちるだけでも
ものすごく大きなエネルギーが動いている。」

中村咲太さんの言葉。

一匹の蝶の、小さな羽ばたきでさえ
だんだんと大きなうねりとなって
世界に影響を与えていく。

私はこの考え方がすごく好きだ。

今この瞬間、私の部屋の中に窓から入ってくる風も
その風に揺られる観葉植物の葉も
大きなエネルギーをもって存在している。


『世界の全てに意味はない説』と
『起ること全てに意味がある説』が存在する。

前者も理解はできる。
理解はできるけどなんせテンションが上がらない。
意味ないならこれ今何しとん?って脱力してしまう。

主婦の世間話も無駄話。
大企業の重役会議も無駄話。
まぁ、理解はできるけど
両者ともちょっと虚しい。
意味はないけど繰り広げられるドラマ。

後者の方が好き。
これ何の意味があるのかな?って探す方が
わくわくするし楽しい。
時にモラトリアムすぎることもあるが。

この世は、ぜーんぶまるごと意味があって
ひとつでもあるので「死」は存在しない。
私が死んでも、私の体を構成する元素は消失しない。
宇宙の質量は一定で、人が死んでも変わらない。
私の肉体が朽ちても、私の体だった炭素や酸素、水素、窒素
はまた地球を循環する。
なんてロマンがあるのだろうか。

という「だから何?」
と思われるようなことを毎日考えている。

そんな私の日々も、ある見方では「意味はない」と言えるし
ある見方では「意味(意義)がある」と言える。

そういうことだけをずーーっと考えていたいな
と昔思っていたことがある。
それを仕事にできないかなって。

「そんな仕事ないか」ってすぐ諦めたけど
今思えばその仕事って『哲学者』じゃない?笑
哲学者になりたかったのかな?
物事の「曖昧さ」をわりと大事にしているから
学者タイプではなさそうだが。
私が学者だったら「AもBもCも答え。ある意味全部正しい!」
って結論づけちゃいそう。

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『全部意味がない説』は虚しいと言ったけど
「虚しさ」も大事な感情、という捉え方もある。
やはり結論付けは難しい。
し、結論付けしなくていいと思う。
(やはり学者は向いていない。)