ギラギラ赤ネイルでおでかけ。
わくわくした。
いつもと違うのは、ただ爪がキラキラなこと。
目立つルビーレッドなこと。
それだけで、ご機嫌になれる。
そこで思った。
「華やかさ」に対してもブロックがあったなと。
なんだろう。
「めだってはいけない」が強いかもしれない。
「華やか」だと「めだって」しまうからだろうか。
目立つと嫌われる。
出る杭はうたれる。
そういうことだろうか。
「華やか」でいることへの恐れ。
注目されたり特別扱いされると、肩がすくんでしまう。
派手なものを身につけている時に知人に会うと
とっさに隠してしまったり。
お気に入りなのに、なぜか気後れする。
華やかなものは好きなのに、どこか遠慮している。
自分を隠そうとする。そういう癖。
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20代の頃、一人で京都へ行った。
有名な老舗の甘味屋で、抹茶のパフェを食べた。
趣のある旅館のようなお店。
帰りに、お店の代表のような方が見送ってくれた。
ものすごく丁寧な扱いだった。
まるで、特別なお客さんのように。
全てのお客さんに同様ではないみたいなので、不思議だった。
私は驚いて、だけど嬉しかった。
なのに肩がすくんでしまった。
遠慮しているような装いで。
なぜあの時、もっと堂々と振る舞えなかったのか。
思い返せば、いくつものそういったエピソード。
小学生の時、友人と美容院へ行った。
友人と同時に切ってもらった。
私のカットが終わった時、スタッフの全員が
私の周りを囲むように、仕上がりを出迎えた。
まるでお披露目みたい。
その扱いが小学生ながら特別扱いなようで。
そこでも肩がすくんだ。
すごく猫背になってしまったのを覚えている。
堂々とすれば良かったのに。
結婚式もそう。
主役なのに、申し訳なさ。
私のためにご足労いただき申し訳な…みたいな気持ち。
なぜか堂々とできない。
「華やかさ」に、遠慮している。
特にこれといったトラウマになるようなエピソードは思いつかない。
ただ、「みんな一緒で同じように」を教育された時代であることくらいか。
(いや、女社会を生き抜くためには処世術だったかも。)
本当は好きなはずなんだ。
目立つこと。
華やかなこと。
トランペットでもソロを吹くことが好きだった。
めちゃくちゃ緊張したけど、舞台上の自分だけに
当たっているあのスポットライトの眩しさ。
すごく快感だった。
大人になってからディズニーランドのダンサーさんを見て
憧れの眼差しで「私も目指せばよかったな…」と呟いたら
一緒に行っていた友人に「自分の結婚式も恥ずかしいからって
ケーキ入刀を省いた奴が何言うとん!」と笑われたが
ほんとは見られるのが好きなタイプなんじゃないかと思う。笑
好きやん、華やかなもの。
好きやん、目立つこと。
いつから遠慮した?
いつから自分にさせないようにした?
そもそも「目立つ」とか「華やか」とか、誰の基準?という話。
他人の目線で感じているからそういう論点になる。
自分だけの目線で生きていたら、そんな概念は存在しないだろう。
要は「抑圧」していることが問題で。
自分の本心を抑え込んじゃっている。
その方が生きやすいから。
その方が上手に楽に生きられるから。
「女性だから華やかに」とかそういう話ではない。
ただ自由に、好きなように生きていれば
誰でも自然と「華」を纏うのだと思う。