いつか素敵なおばあちゃんになれたら。

甘く、優しく、軽やかに生きよう。

鮮やかな青、と和解。

ここ数ヶ月の流れ。(5月〜)
自分の内面と向き合いすぎて「掘り下げ疲れ」が
ちょっと起きていた。

なんも湧いてこないぜ…
ってなったところで
なんも湧かなくても
敢えて行動しなくても
無理に変えなくても
今は今でいいんじゃない?
となった。

今の私で、完璧なんじゃない?
無理に変えなくても
自分が自分の良さに気づいてないだけじゃない?

自分のことはわりと嫌いだとは思っていたけど
それもよく考えたら本当に嫌いなのは自分自身じゃなくて
「はちゃめちゃ自由に生きたい!というのにそうはさせてくれない世界」
に対しての苛立ちだけだった。
(そしてそれもまた「自らの思い込み」なんだけども。)

根源は、自分の思い込み。


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改めて褒めたげたい、自分の良さ。


一つは、実はけっこう器用なこと。
60点くらいまではわりとすんなりいくこと。(自己採点)
でも80点超えないと誇りに思っちゃ駄目だと思っていた。
そこまでいかないと公言しちゃ駄目だし、自信をもっちゃ駄目!
という思い込み。
いきなりメジャーに入ろうとする野球少年か。
あのね、ちょっとだけでもいいんですよ。
「好き」や「やりたい」は自由なのだ。
そして自分の凄さを華麗にスルーすな。
教えてもらってすぐバットに球当てられてんだ。
それだけで褒めてやれ。


もう一つは、お金の使い方が下手と思っていたけど
むしろ逆なんじゃないかということ。


自分のお金の使い方に罪悪感があった。
買いだめや作り置きも苦手だし
上手にやりくりできる人に劣等感があった。
自分以外の主婦はみんな、料理上手・やりくり上手に見えている。
現代の主婦は、仕事も育児も家事もなんでもできちゃう。
トリプルでできないと。バイリンガルみたいな。
…という思い込み。

私はやりくりがうまくない。そう思っていた。
こっちのスーパーがこれが安いとかも把握していない。
一週間買いだめして、週末に作り置きとかもできない。
(一度やってみたが同時進行の料理はてんやわんやで、美味しくできなかった。
そして一週間分のはずが三日で食べ尽くした。なんやったあの苦労。)


でもその代わり、私ってフードロスがほとんど無い。
食材をゴミ箱に捨てたことがほとんど無い。
みんなそんなもんだと思っていたがそうじゃないらしい。

服や、何か高いものを買ってしまった時も
最初はしっくりこず「あれ?似合うと思ったのに失敗したかも」
となることもあるけど最終的には必ず馴染む。
当初の見極めをほぼほぼ外したことがない。
10年くらい着たり、大切に使っている。
「悩んで買うものは必要じゃない」という考え方もあるが
いつもしっかり悩んで買って、必ず自分のモノにしている。
もしやあんた、買い物上手じゃないか。

思っていたより、自分の「凄さ」を見過ごしていたんじゃないか。

そういうことに気づくようになってきたら
まぁ過去のことが過去のことになってきて
もう「許せねぇ!」と思うパワーも消えていった。

なんだか随分昔のことようで。
嫌な人もたくさんいたが、今はどうでもいい。

なぜだろうか。その前に忘れていた嫌な人たちのエピソードが
ばぁーーーっと走馬灯のように流れた。
「こんな人もいたなぁ」と思うような、私の人生を通り過ぎる人たち。
(私もまた誰かにとって、ただの「通り過ぎる人」である。)
その人達の映像が脳内で流れきった後だった。
そう思ったのは。

これまで握りしめてきたものが
どうでもよくなったのだった。


8月はブルー。似ているようで実は全て違う青のグラデーション。



そうした日々を過ごしていたら、母からの電話。
最近は「忙しい」と言って手短に切るか
スルーしていた。

今回は取るべきだと思った。
ちゃんと話すべきだと思った。

話してみて思った。
なんかもう戻れないような、そんな感覚があったけど
もうそれもどうでもいいと。
戻っても戻らなくてもいい。
新しい道を進む予感。
母の方も、何か変化があったような
声色から変わったように感じた。


その電話で「できた母親じゃなかった」
と母は私に言ったが
母がしたことの良し悪しはどうであれ
娘が幸せに生きているということは
母の子育ては成功だったと思う。


母は二度目の子育てをしている。(二匹の手のかかる犬。)
来月は母と姉と姪と私の子たちとで
ディズニーランドに行くことになった。

「元には戻らない」と固執していた考えも
また変化を遂げている。

人生はきっと、いつか「一番いい鞘」に戻るのだと思う。