いつか素敵なおばあちゃんになれたら。

甘く、優しく、軽やかに生きよう。

フリをしよう。

昨日はなぜかイライラが止まらなかった。
というかここ数日なんかおかしいと思っていた。
疲労と欲求不満が溜まっている感覚。
そこにイラッとする出来事があって、さらに感情が噴出。

何がそんなにムカついてしまったのか。
それはとりとめもないこと。

それは幼稚園側が「時間厳守」と言っていた面談の時間をめちゃくちゃナチュラルに破ってきたことだった。
5分とかなら許容範囲だと思っていたが、それ以上だった。
今の時代の学校関係はどこもこれでもかというくらい神経質に行事がマネジメントされている。「時間厳守」と指示されることは多いので、私もそれに答えて神経質なまでに守るようにしていた。

去年はどうだっただろうか。待たされなかった気がする。
担任も毎年代わるが、ストップウォッチで一人一人時間をはかっていたと思う。
呼ばれて気付いたが今年はストップウォッチは無かった。先生もけっこう曖昧にやっていたわけである。
待たされている廊下がめちゃくちゃ寒かったのと、トイレに行きたかったけどいつ呼ばれるかと思って我慢していたのと、家に発熱中の子供を待たせていることもあった。
一応家に仕事中の夫もいたが、何が起こるか心配だったしギリギリまで面談をキャンセルするか迷っていた。

呼ばれたのは私の面談時間終了予定時刻5分前。
てことは次の人も待たせることになるのか、うちが5分で終わらせるのか。
(次のひとが可哀想だからちょっぱやで終わらせたよ!)

そこではっきり言っちゃた私。
なんかもう釈然としなくて。先生の悪びれなさにも。
「幼稚園側が時間厳守としていたのだからそこは守ってください」と。
何かしらの理由があったなら仕方ないだろうけど、それはタイムマネジメントするべきだと思った。ズレる可能性があると明記されていたらこちらもそれを考慮する。
そもそも子供が三人いると面談時間はだいたい帰宅お迎えラッシュの夕方で、かなり熟考した上で申し込んでいる。つまりこの時間帯は何もなくても急いでいる。
そして仕事終わりで満身創痍でもある。(これが一番の要因である。死にかけである。)

若い先生に手厳しく言うのは自分もルーズに仕事をしていた若い頃を思うと心苦しい。
先生も「仕方ないじゃん」みたいな表情が隠しきれていなかった気がするが、その反応も理解できる。もれなく私もそうだったからだ。(←「ええ加減代表」みたいな若かりし頃。)
でもそれがきっちりできる人はできるのだ。
それは私も歳を重ねて経験でできるようになったことだ。

でも帰ったあと自己嫌悪。
他のお母さんだったら「仕方ないよね」と微笑んで終わったのかもしれない。
クレーマーママだったかなぁ…。


なぜ今回ははっきり申してしまったのか。
掘り下げてみることにした。

まず第一に、現在の私自身が時間を守ることにかなり気を張っているからだ。
だから相手が当たり前に破ってくると「なんでやねん」となる。
それも今回は相手側が注意事項で先手を打っていたことだったから。
こちら側もそれはそれは気を張っている。学校に迷惑をかけないようにと。

(余談だが親としても学校システムはけっこうストレスに感じているので昔の寺子屋みたいな学びの場にこれからの時代は変わっていってほしいなと思っている。子供たちも忙しそうだし大変そうだし。)

それに加えて、子供関係の行事が立て込んでいた。
PTA行事、母の会集まり、三女参観、次女面談、長女面談…。
学校行事はだいたい時期が被る。
数日前のブログでPTA行事楽しかった的なことを書いたけど、立て続くとやはり疲労感。
時間を守らなければならない用事。それにより私のストレス値はマックスに近づいていた。
「明日仕事」でも遅刻できないプレッシャーから熟睡できないタイプであるからして。
守らなければならない約束があるってだけで緊張感が走るのだ。

そんな時期に次女発熱40℃を数日間。
幼稚園でも流行していて、ぜってーインフルだと確信していた。
発熱外来の待機室にいると隣の診察室から次々と「インフルエンザ陽性ですね」の声が漏れてくる。同じ部屋で待機していた人たちはみ〜んな陽性。
とんでもないくらいの大流行中。小児科は大行列。
これはうちも絶対そうだと満を持して診察室に向かったが、娘だけ陰性。
ちょっと戸惑う表情の先生と私。(症状と流れ的に絶対陽性やと思うやん。)
症状の時期的に偽陰性の確率も低いし、ほんとにただの風邪なようで。
今は無事解熱している。けど大事をとって幼稚園休み中。



そんなこんなで諸事情も重なり、若い先生にはっきり物申してしまったのであった。
短気な気質がはっきり出てしまう時とそうでない時がある。
苛立った猪のようである。
そういう時はだいたい仕事終わりで疲れている。まず疲れは厳禁である。
仕事で魂を削るべからず。



はぁぁ〜…。すべてのことを笑って許せる徳の高い人間になりたい…。

最近読んだ本に竹田和平さんのことが書かれていて、今私は猛烈に将来は花咲か爺さんと呼ばれている竹田和平さん(のおばぁちゃんバージョン)になりたいと切望している。
このことはまたブログに書きたい。



そしてさらに掘り下げれば、前回のブログにも関連しているが自己愛に問題があったと思う。
漫然とした焦りは、「うまくいかない自分」に対する否定感からだ。
その焦りが「なんでうまくできないの!」の自分に対する欲求不満に変わっていたわけで。
つまりのありきたりな自己否定。自家中毒

漫然とした感覚が疲労と共に感情に乗り、それが噴出したのが今回。

自分を否定している人は他者にも厳しくなる。
「こうあるべき」が強いから。
自分への愛でいっぱいだったなら待つなんて些細なことにイラッとしなかっただろう。

「これがうまくいけば自分を愛せる」と思っているうちはうまくいくことが困難だ。
たとえうまくいったとて、それを失えばまた自分を否定することになる。
つまり兎にも角にも、うまくいかなくても自分を愛してあげることが重要となってくる。

このようなことは何度もブログに書いているというのに、いつまでも同じところをグルグル回っているような…。
いつになったら高みにいけるの…。花咲婆さんへの道のりが遠く感じる。


まずは「フリをすること」はけっこう大事らしい。
自分を愛しているフリ。
寛大なフリ。

フリをしていれば、脳が勘違いして振る舞いが変わる。
振る舞いが変われれば状況が変わる。
状況が変われば人生も変わる、ってな。

最初はフリでもいいのである。