「人は感情豊かな生き物だから。」
この一節は高校時代、友人が手紙に書いてくれたものである。
私が家庭環境でかなりナーバスになっていた時期。
家庭のことは友人には話していないが、私の手紙の内容がかなりネガティブな文面だった気がする。
それに対する返信の手紙に、この一節があった。
その友人のキャラクターは私と違って明るく少し軽薄(ごめん)で、数日前に私が彼女に話した内容を本人は忘れて私にそっくりそのまま初めて話すかのように言ってくるような子だった。
「それ私が話したやつ」と言うと「そうだったっけ?」とあっけらかんとしている。
なので基本的に彼女が繰り出す言葉を信頼していなかった。笑
だけどこの一節は今も心に残っている。
珍しく刺さること言うやんって。
だけどこれも他の誰かの言葉を丸パクリして私に伝えた可能性はある。
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ここ数日「『感情』ってもしや無駄なんじゃないの」と感じていた。
特に仕事なんて、感情がめちゃくちゃ邪魔。
感情をブチ殺して励むくらいがちょうどいい生業。
いつかのサスペンス劇場でも船越英一郎が「医療職の人は感情を隠すのがうまい」と言って犯人特定に難航するシーンがあった。
デイトレも感情が邪魔。
同じくブチ殺し推奨。
感情豊かなのが人間の面白みなのに、実際は感情があまりない方がもしかして生きやすい世の中なのでは?
人間関係も、感情があぶれすぎるとトラブルになりがちである。
かといってあまりに共感性がなければそれはそれで他者との摩擦となる。
中庸を目指す。これがなんとも難しい。
だからこそ人間関係で人間性は成長するのであ〜る。
仕事は無感情のほうがやりやすいものが多くないか。
だけど人間らしさをブチ殺してまで挑む仕事とは。
だからこそこの時代にAIが登場したのかもしれない。
人間にとってしんどいことはできる限り代わってもらえばいい。
旧来の仕事がなくなればまた新しいものを探せば良いのだから。
クリエイター系などの職種は感情の豊かさが味を増している気がする。
感情や人間らしさが仕事にプラスになるなんて羨ましい。
そこにはAIでは出せない深みがあるのだろう。
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感情を殺し、息を潜める。
その生き方に慣れてしまっている。
だけどいつかは限界がくる。
海面から浮上して思いっきり呼吸をしたい。
その時に一度溺れる。
そういうタイミングがほとんどの人にあるのだと思う。
『感情』とは『エネルギー』であり、もしかしたらの『才能』。
感情を抑圧することで他の豊かであるべきものも制限しているのかもしれない。
これはけっこう多くの人に当てはまり、ちょっとした国民病くらいになっているのでは。
…という妄想を広げていた。
規律を整えること。豊かで自由であること。
結局どっちがいいのかはよくわからない。
どの生き方が誰にとって「いいこと」なのか。
その答えは無回答である。