いつか可愛いおばあちゃんになれたら。

35歳からおばあちゃんになる日まで、日々の想いをつづる日記。

感情麻痺。

昨日テレビでリオのダンサーが泣いている姿を観た。

不遇な生い立ちでカーニバルのダンサーになったが

ダンサーとして影響を受けた父親が亡くなり

ダンス本番の場所から父の墓標が見えたと

涙ながらに話していた。

 

それを観て、私にこの人のように

涙するものがあったけなと思った。

この人のような情熱を(この人ならダンス)傾けるものはあったっけ。

父や母が亡くなっても、この人のように涙する姿も想像できない。

 

自分に真面目さや懸命さはあっても

情熱が無いことに気づく。

 

さらに考えてみたら

子供の頃、人が泣いている姿を極端に嫌っていた。

母を見て、なんでこんなにヒステリックに泣けるんだろうと不快だった。

人の泣き顔なんて汚いと思っていた。

思えば自分が泣いて甘えるなんてできなかったからかもしれない。

感情を麻痺させて生きてきたんだと思う。

感情を隠すこともいつしか自分の『美徳』として

変わっていったのかもしれない。

 

今は子供たちが泣く姿を毎日のように見ている。

(お菓子を3つ食べたのにもっと食べたいとかそういう理由で。笑)

キラキラした瞳にポロポロ涙を浮かべて綺麗だ。

なんて感情豊かなんだろう。

お菓子とかちっぽけな理由でこんなにもポロポロ涙が出せるなんて。

 

大きな叱る理由がある時、子供たちは号泣するのだが

子供たちの感情を言語化するようにしている。

すると子供たちの涙がすーーっとひいてきて

笑顔に変わる。

私も親にこうして安心させて欲しかったなと思うと同時に

自分が子供時代にしてほしかったことを自分ができてるなら

私の死んだ感情も少しずつ成仏しているのかもしれない。

 

感情麻痺とパッション(情熱)迷子も蘇生途中のようだ。