いつか可愛いおばあちゃんになれたら。

35歳からおばあちゃんになる日まで、日々の想いをつづる日記。

2023-01-01から1年間の記事一覧

罪悪感と悔しさ。

母はダブルバインド(二重拘束)の手法をよく使う。 例えば 「あんたには幸せな結婚をして欲しい。私みたいになって欲しくないわ。」 と言っておいて 「結婚して私を捨てるのか。」 というような。 結局どちらを選んでも罪悪感を持たせるような言い方をする…

帰省しない。

新幹線のホームでテレビのインタビューに答える人達は 実家が嫌いという感情は持っていないのだろうか。 私は今年、母に「あなたとは距離を置く」と伝えたので帰省しない。 帰らないことが当然になると身が軽くなったような気分だ。 私にとって地元は ドロド…

母のようになりたくない。

母は美しいことが自慢だった。 だけど口が悪く、心が美しいとは言えなかった。 母が嫌いな父に似ている姉に対しては 成人式や結婚式の晴れ舞台の時でさえ 「ごめんやけど私の方が綺麗やったわ」 と言ってしまうようなひと。 私の娘のことも「可愛くない」と…

自分の頭の中は誰の思考で出来ているのか。

ぱっと出てくる言葉が 自分の言葉というより 自分以外の誰かが言ってた言葉のコピーだったりする。 例えば母親とか。 私は嫌なことが起きた時 瞬間的に浮かぶ言葉が 母が言いそうな言葉(又は言っていた言葉)なことがしばしばあって それがまるで自分の本質…

呪いの言葉

母の口癖 母の口癖は「私に感謝しなよ」だった。 私が子供の頃 誰かに「可愛いね」と褒められれば 「可愛く産んであげた私(母のこと)に感謝しなよ」 私が大学を出て資格を取れば 「娘を大学に行かせて資格まで取らせた私に感謝しなよ」 私の結婚が決まれば…

子供の頃②

小学5年生の時、両親が離婚した。 婿養子だった父が出て行った。 それからは母方の曽祖母、祖父母、母、姉、私の6人で暮らした。 それまでの両親の夫婦喧嘩は相当なものだった。 母が激昂して、父を流血させるような時もあった。 曽祖母と祖父母は無関心。 …

子供の頃①

いつも何かに焦っていた。 今でもはっきり覚えている場面がある。 私は小学4年生くらいで 家族と近くのテーマパークに来ていた。 姉や従姉妹は隣で はしゃいでいる。 私も同じ行動をしているのに どこか本気で楽しめていない。 心から笑えない。 夕方になり …

こうなりたい、の最終形態。

忘れられない老夫婦。 二十代の頃、病院で働いていた。 接するのはほとんど高齢の患者さん。 まだ二十と数年しか生きてなかった私には、 患者さんたちの姿がまるで 人間性の形態形態のように思えた。 そう思うくらい『人間の人格』というものが強烈に映った…