いつか可愛いおばあちゃんになれたら。

35歳からおばあちゃんになる日まで、日々の想いをつづる日記。

キテレツおかん。

娘が選んでくれたお花。

「キテレツおかん」という言葉はナツコ!さんという方が

インスタグラムでなかなかの癖強なお母さんのことを

そう表現されていて、ナツコ!さんはとても愉快に

お母さんの言動(ちょっとひどいかもと思うようなレベルのものも含めて)

ユーモアをもって漫画で描かれている。

私の母もそういう発言する〜!と共感するのだが

私にはそれをそんなユーモアに変える人格の厚みが無い。

母に対して思い悩み、ナーバスになりがちな私だが

それを笑いに変えて楽しく日々過ごせるならぜひ見本にしたい。

 

私の母もキテレツだと思う。(めちゃくちゃ良いように表現して)

無神経というかなんというか。

本人は自分の言動で他人がどう感じるかが想像できない。

 

今年の母の日は私から母に対しては何も送らないことにしていた。

そこで夫が気を効かせて母にビールを送ってくれていた。

それに対して母は、認知症で怒り荒れ狂う祖母の動画

(見ていられないレベルの衝撃なやつ)を

夫へのLINEでお礼の言葉と共に送ってきた。

意図があってもなくてもなぜそうしたのか理解できない。

夫は気にしていないが、私は気にする。

 

母に対してあれこれ悩み考え

ブログも真面目なやつを書いていたけどそれは削除した。

哲学的な答えに行き着きかけていた(笑)けど

そこは重要じゃない気がしてきた。

なのでもうこの一連の母との騒動に対して

できれば笑いに変えて終わらせたい。

 

自分に対して理由や反省点を探したり

母に対して理解をしようともしたけれど

心の奥底から泥のようなものが湧いてくるばかりだった。

 

それより、諦めて今を大切に生きることの方が

重要な気がした。

そのほうが母と私の確執に、シンプルな終止符になる気がする。

お互いの理解に対する期待も諦めて

日々を明るく生きよう。

 

私のキテレツおかんにも明るく幸せに暮らしていただきたいと願う。

 

 

日曜日は母の日ということをすっかり忘れて

掃除の後、三女と昼寝をしていた。

夢の中で「そういや私、わりと頑張っているのに自分に対して

叱咤ばかりで全然褒めてあげてないなー…」と思ったところで目が覚めたら

夫と長女次女がお出かけから帰ってきた。

長女が選んだという赤いカーネーションと新しいパジャマを

プレゼントしてくれた。

「ありがとう」って嬉しい言葉。

夢が前フリで、褒められた気がした。

 

母との確執あれこれで思ったのは

家族との日々のなんでもないやりとりが一番幸せで大切だということ。

お金云々で子供を幸せにしてあげられるというのは結局母と同じ考えで

これからの私が大事にしていきたいのはそこじゃないんだ。

娘たちとのなんてことのない会話とか、時間とか。

仕事とかお金とか家事とかに先を急いで

「今ここ」「この時間」を集中できていなかった。

家族を幸せにする『手段』ばかりに気を取られて

本質・本体に意識がいっていない。

時間もやりとりも大切にできていなかった。

重要なはずの意識が、いつもここではないどこかに浮遊していた。

 

母の日の続き。

プレゼントを買いに行った帰りに疲れて寝たまま帰ってきた次女が

お風呂の前に起きると寝ぼけたまま、ひそひそ声で耳打ちしてきて

「あのね、おかあさんにおはなとおようふくかってきたの。ないしょだよ。」と。

もう先に長女からプレゼントを渡されていて時間も経っていたので

まだ内緒だと思ってワクワクにこにこしていたのが可愛かった。