今朝子どもたちを送っている途中に、ゴミを拾っている人を見た。
おそらく本人と全く関係のないだろう橋の上での出来事。
美しい精神で生きる人がいる。
その逆の人もいる。
どちらの人間にも平等に、「一日」が用意されている。
ズルしたって生きられるのに
自分の利だけを追い求めたって生きられるのに
美しい精神を持つ人はそうしない。
この差はなんだろうか。
利己的に生きても
利他的に生きても
生命体としての人生は平等。
それを選ぶ「自由」を与えられている。
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東京は路駐が多い。
そうなると自転車勢は、道路の端を運転できない。
(まじであぶない。)
仕方なく歩道を自転車と歩行者が行き交うことになる。
そこで速度を落とし合ったり、譲り合ったり、会釈したり、
「すみません」とか「ありがとう」とか声を掛け合ったりする。
私はそれが好きだ。
そういうことができる人が大好きだ。
そういう人に会えると、数時間はほっこりする。
すごい笑顔で言ってくれる人に出会うと
「私もあんなふうになりたい」と思う。
たった一瞬で他人を良い気分にできるなんて、神なの?
道路工事のおじさんも声掛けが素晴らしくて好きだ。
自分のせいじゃないのに「工事で迷惑かけてすみません」
だなんて。なんて律儀なんだ。
こちらの気持ちも良い。良い仕事すぎる。
お願いだからお気をつけて。
「なんだこのひと」って思うような人間がちらほらいる。
とっても素敵な人。
美しい精神を持つ人。
そしてその逆も、ね。
どちらの人生も平等だけど
私は前者を目指している。