竹田和平さんに習って、生きていることで周りから与えられているささやかな贈り物に注目してみた。それには人から与えられているものだけではなく、地球からの贈り物も含んでいる。
朝子供を送り出す時、温かく頬を照らす太陽の光。
朝ごはんの目玉焼きの美味しさとその生命。
家族の優しい微笑み。
普段の私はもっと、足りていないことに注目していた。
子供を送りながら今日のto doリストを頭の中で整理して忙しさにため息、とか。
今月の引き落としを考えてため息、とか。
竹田さんと私とでは着眼点が違った。
だから真似することにした。
「有り難い」と思うことに注目すれば、有り難いことばかり見つかっていく。
今日は休みなので午前中はジムと美容院の予約を入れていた。
美容院は髪を伸ばすために我慢していたので久しぶり。
おかげで髪が雑木林みたいになっていた。
シャピーンと伸びていてなんだか竹みたい。
次切るまでにもうちょっと伸ばしたかったがビジュ的に限界である。
ジムから歩いて10秒のところに美容院があるので近い時間に予約をとって、サクッと2つの用事をこなすつもりだった。
しかしそこに次女再熱。39℃。
これはもうキャンセルするしか…。(当日キャンセル料全額だぜ。)
と思っていたら夫が行っておいでと。
仕事しつつ次女を見ていてくれると。
そういうことも、めちゃくちゃ有り難いことなんだよなぁ…としみじみする。
うちは親に頼れない分、頼れる人は恵まれているなぁと思っていたのだ。
まるで自分には足りていないみたいに。
でもそこも着眼がズレている。有り難いことを私も与えてもらっている。
帰ってきて三人で一緒に昼食を摂った後、次女が「ウンチしてくる」と言った。
トイレから戻ってきても何も言わないのでしんどいのかなと抱きかかえると、異変。
ウンチの匂い。
朦朧としていたのか、トイレから床にかけて大お漏らし。それを踏んでリビングへ。
ぎゃー。
しかし今日の私はどこか違った。穏やか、かつ迅速で対処。
これまでならもっと「なんでこんなことに…」と悲壮感いっぱいになっていたと思うが、なぜか「ウン(運)がついたな」と思った。
しばしば悲壮感いっぱいになりがちな人間だったのだが、変えられようと思えば変えられるのかもしれない。
意識を少しばかり変えたとて、「なんそれ」みたいなことは起きるようだがそれでも悲壮感いっぱいよりギャグみたいに笑って生きていたい。
学生時代、先輩に「存在自体がギャグみたい」と言われたことがある。
あれは確実に馬鹿にされていたと思うが、今はそれめっちゃいいやんと思っている。