いつか可愛いおばあちゃんになれたら。

35歳からおばあちゃんになる日まで、日々の想いをつづる日記。

女性性は武器か急所か。

今、「あざとい女性」が注目されているらしい。

私が10代の頃、女子の悪口の鉄板は「ぶりっ子」だったと思う。

(「ぶりっ子」と言われたくなくて無理にクールに振る舞っていたような…。)

 

「ぶりっ子」は(特に男子に)可愛く思われたい、愛されたい為の表現だったと思う。

「あざとい」は愛されたい気持ちにプラスして相手を自分の思うように導こうとする

ちょっとずる賢い感じ。男女問わず使用可能だ。

 

どちらにせよ自分への愛が溢れているからこその行動であり、

それ自体はいいと思う。

その中には自信の無さから過剰になっているパターンもあると思うので

それはそれでちょっと危険な面もある。

自己否定・自己肯定感の低さは過剰な「愛されたい願望」を産む。

 

「ぶりっ子」「あざとい」

女性性を武器化した女性。

そういうイメージの女性を「なんだこいつ」みたいな目で見ていた。

 

ただこれって私が自分自身にかけた呪いが原因だと思う。

女性性を隠さねばならないと思っていた。

変質者に遭った時、男の人に「君がニコニコしてるからだよ」

とか「君がスカートを履いているから」と言われたり

外出先で私が男の人に声をかけられるの見た母が

「あんたの存在がいやらしいから」と叱られたり。

本屋で盗撮されたり、ベランダまで侵入されたり。

女性らしく生きていれば被害を被ると感じていた。

 

男性と同じくらい働いて稼がなきゃと思うこともまた女性性を否定している。

男性性を優位にしすぎると女性性は弱る。

男性ホルモン(テストステロン)は精巣が無い女性にも副腎や卵巣から分泌されている。

逆に男性にも女性ホルモン(エストロゲンプロゲステロン)は分泌されている。

 

「ぶりっ子」「あざとい」女性達はそんな制限も無く女性という生を

楽しんでいるような感じがする。

尊敬できるかと言われれば別にそうでも無いけど、彼女達は輝いている。

 

若い頃は、早くおばさんになりたいとさえ思った。

早く性の対象としてそういう目で見られないただの人間になりたい、と。

 

でも女性であることを弱点として生きるのは

勿体無いことをしているのではないか。

随分長い間小難しく生きてきたなと思う。

女性であることに謙虚さも恐れもいらず

ただ受け取れるものは享受すればいいと思う。