物事には二極の側面がある。
奪われることもあれば、与えられることがある。
今、0歳の三女の夜泣きで睡眠不足だ。
寝不足だと悲観的になる。
子供達の声も喧騒に感じる。
子育てで圧倒的に辛いのはこのまともに眠れないことだと思う。
その反面、ギフトがある。
子育てが楽しいとか可愛いとかより、
もっと意外だったもの。
私の場合はやらなくてもいいことがあるのを知ったことだった。
三女が産まれてやっと、辛いことは断ってもいいことを知った。
それまでは子育ても仕事も自己研鑽もしんどいことも
例え身を削る勢いでも一生懸命やらなくてはいけない
と思い込んでいた。
三女妊娠中、重症の悪阻で1週間のうち
摂れた食事はバナナ1本という有様だった。
水すら吐くので毎日水筒に氷だけを入れて出勤していた。
お弁当は無し。それでも吐くので血が混じっていた。
おそらく入院した方がいい状況にも関わらずそうしなかった。
満員電車、人の脂の匂い、食べ物の匂いも、この世の全てが不快。
そのまま耐え続けていたら咳喘息を発症して
激しい咳で夜眠れなくなった。
睡眠不足、低栄養、免疫力の低下。
それでも休日まで出勤させようとする上司に限界がきて
初めて夫の前でもう辛い、と泣いた。
仕事は断ってはいけないと思い込んでいた。
体調が悪くても休んではいけないと思っていた。
そうまでして稼がなければ自分に価値が無いとも思っていた。
仕事だけしていても、子育てだけしていても、
あるいはその両方をしていても
自分に対する無価値感が消えなかった。
(そのあたりは親に植え付けられた価値観と気付くまで
時間がかかった。)
強制終了の時がきたと思った。
子供が産まれなければその思い込みに気づかなかったと思う。
「子供のおかけで」きっかけをもらえた。
限界まで追い込んで、さっと手をひいてくれるような
荒療治だったけど。
子供のおかげで眠れてないが
子供のおかげでやりたいことを選べる自由さに気づけた。
今は自分の未来のために学べる時間に感謝している。