いつか可愛いおばあちゃんになれたら。

35歳からおばあちゃんになる日まで、日々の想いをつづる日記。

自分が役に立たない存在のように感じたら。

心理の勉強をするようになって

私の心はだいぶ晴れやかになってきた。

でもまだ大きなブロックが残っている。

 

お金のことだ。

 

幼少期の出来事がおそらく始まりだと思う。

 

昔からよく母には「金食い虫」だと言われた。

私が産まれた病院代が高かったらしい。

日曜日生まれの祝日料金で、さらには難産だったので

お金がかかったらしい。

「あんたはほんまに金食い虫や。」

何度も言われた。

笑いながらだから

本人は面白い話のつもりだったのだろう。

 

喧嘩した時「学費を返せ!」と言われたのも大きい。

 

お金にまつわる母との話は

苦い思い出ばかりだ。

 

母は「〇〇さんは専業主婦だから、社会性がない。」

「これからは女も手に職や。職が無いと、いざという時離婚もできんからな。」

と私に看護師になるように説得していた。

 

母自身が看護師になりたかったらしく、

離婚したい時に自分が専業主婦だったから後悔していて、

自分の不安を私に歪な愛の形でぶつけていたんだと思う。

 

それを散々聞いて大人になった私は

妊娠中でも育休中でも

働いて自分で稼いでいないと不安になるようになってしまった。

 

フリーランスだから育休の今も給与が無い。

そのことは異常に私を焦らせる。

自分は社会の役にも立っていないし生きてるだけでお金がかかっている。

申し訳なく感じてしまう。

 

でも思ったのは

もし私が社会にすっごく役立つ活動をしていて

例えばめちゃくちゃ有名になったとしても

私は私を「素晴らしい存在!オールOK!」だと認めるだろうか。

おそらくそんなことも無いと思う。

次にまた課題を科すと思う。

自分を肯定する理由を探すのはキリが無い。

 

「役に立たない存在だ…」と言うのも

『ネガティブ(陰)』に振り切りすぎているだろうし、

 

「役に立っているぜ!」と言っているのもまた

『ポジティブ(陽)』に振り切りすぎている。

 

生きていく上でしっくりくるのは

ポジティブにもネガティブにも振り切りすぎず

ニュートラル(中庸)に気持ちを置いておくことかもしれない。

 

何かに役に立ってるかもしれないし、

何にも役に立ってないかもしれない。

どちらでも、正解でいい。

自分のできることを自分なりに探してやっていく。

そんな自分がただここに在るだけ。